妊娠記録 2

安定期

7月も終わる頃、つわりもだいぶ落ち着いてからだがとても楽になった。家事もできて、心と体に余裕がある感じが嬉しくて、機嫌がいいのを自分でもわかった。たまに嘔吐してつわりがぶり返すような日があって、その時は少し泣いた。笑

 

つわりが落ち着くと胃痛が続いた。地味にキリキリと痛い。

 

精神的にはとても落ち着いていたと思う。仕事で私の補助金がおりない問題で(これに関しては収入が半分以下になったので最悪だったが)、問題が落ち着くまで自宅待機となったのでしばらくだいぶゆっくりできた。暑い時期の休みでありがたかった。つわりのひどい時期にも休みたかったとも思うけど、この時は家事もできたので、夫が仕事の間最低限の家事ができて心に余裕をもって過ごせた。

つわりが落ち着いてからは、喧嘩もほとんどしていない。ムカついてしょうがなかった夫も可愛く見えてきていとおしく思えて、自分のことなのに不思議で面白いと思った。夫だけでなく、周りのひともとてもいとおしく思えて、私のなかの母性が溢れていたのかもしれない。

 

8月中旬ごろから仕事にいっていたけど、私は朝の収穫は行かずに午後からの数時間だけ働いていただけで、家事もできる余裕があったのでとてもちょうどいい過ごし方ができていた。お盆過ぎた頃から胎動もわかるようになり、うれしかったし夫と共有したくてしょうがなかった。

まだお腹はそこまで目立たないほどで、8月後半にはウェディングフォトの撮影をした。心配していた暑さも、体調も問題なくていい時期に出来た。

 

性別もだいたい女の子だとわかってきた。夫は女の子希望だったのでとても喜んでくれて、まだどっちかというと女の子と言われた時点で女の子の名前の本を買って、毎日のように読んで名前を考えていた。最初は女の子ならわたしも考えたいと思っていたけどあまりにも真剣なので(ふざけた名前もよく提案してくるが)任せようと思った。産まれる前に名前はほぼ決まってその名前で呼んでいた。

 

結婚前から、夫は子どもがほしい、できてもいい、と言っていた。

私は結婚も子どもも強く望んではいなかったもののなんとなく女の子を産むと思った。 

「私から女の子しか産まれないよ。」と言った。それに対して「女の子が欲しい。大事に育てたい。」と言われた。

 

9月後半の稲刈りの時期から、収穫にもいくようにはなったけど楽しんでできた。

この頃からお腹も目立つようになってきて、屈んだりの作業がつらくなった。

 

後期

ちょうど妊娠8ヶ月いっぱいまで仕事をした。

8ヶ月に入ってから体が急に重くて、尾てい骨をはじめとにかく体が痛くなり、あと数ヵ月も続くとおもうと(もっと重くなる)つらいと思った。お腹のはりもわかるようにはなって張っているときに動くのは痛かった。早く産みたい…と言っていた。

胎動もだいぶあったので、夫も寝るときや朝、お腹をさわって胎動を感じて話しかけたりしていた。それがうれしかった。わたしが寝ていて胎動にきづいてないときも、夫はわかっているそうだ。笑

 

後期に入ったくらいから、少しずつ子ども用品をそろえはじめた。その前から出掛けるとそわそわして何が必要なのか夫婦でよくわからないまま子ども用品売り場をちょこちょこのぞいてはいた。出産準備の買い物をしていると、夫婦になって子どもができたんだなぁとあらためてしみじみと実感できて幸せを感じる時間だった。そして実際に少しずつ色々揃ってくると実感もわいてくる。買ったものを並べてふたりで「かわいいー」とにやにやするのも楽しかった。

 

初めて子ども服を買ったのはGAPにいってsaleをしていた時。かわいくてテンション上がったし、すごく嬉しそうに選ぶ夫をみて楽しさが倍増した。その服を何度も帰ってからみて、友達夫婦にも嬉しそうに見せていてわたしまで幸せな気持ちになった。

 

9ヶ月後半くらいから胃が圧迫されて食欲がなくなったのと、車に乗るとすごく気持ち悪くなった。車にのるとよく吐いた。移動や外出が億劫になった。

 

現在、37w。お腹も張ってることが多くなったし、赤ちゃんの頭も下がってきてるとのことでもうすぐ会えるだろう。

産まれたら私の人生も大きく変わるし、何より新しいひとつの命がはじまる。どんな人になるのかな。

2度と戻らない妊娠生活。お腹のなかにいれて繋がっていられるのもあと少し。大変なことも多かったけど、妊娠しないとわからなかった幸せもたくさん教えてもらった。

私を母にしてくれた命に、いまは会うのが純粋に楽しみ。夫と家族になって、私たちの家族が増える喜び。

色々なものを一緒にみて、色々なところに行きたいな。

私は26年間生きてきたけど、結構楽しいよ。あなたの悲しみや辛さも時には共有するからね。

 

いつでも産まれておいで。